独創とチャレンジ

 

コンタクトレンズの発想の起源はレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)にまで遡るといわれ、その後も実験は続くが実際に使用できるものを作ることは困難であった。それが20世紀半ばになりプラスチックという加工しやすい新たな材料が普及し始めると、世界中でその研究開発が一気に加速するようになる。しかし幾多の医学者や科学者たちが研究し実験を繰り返すも、実用化には至らないものであった。
そのような中、1951年に田中恭一の手によって小さな角膜コンタクトレンズが日本で初めて生み出されたのである。

一介の眼鏡店の店員であった田中はコンタクトレンズという名は耳にしたことがあったものの実物を見ることなどできなかった。
しかしそれが反って幸いした。田中の好奇心と探究心に火が点いたのだ。
まだ戦後間もなく外国の文献や情報を入手することすら困難な時代、田中には知識も先入観もなかったため、当時研究されていた主流のデザインに捕らわれることなく、独自の発想だけを頼りに研究を始めたのである。
自作の工作機械を使って削り出した試作品を自分の眼に入れ試行錯誤を繰り返し、三ヶ月という短期間で実用化可能なレンズを作り上げたのだ。
学者でも医師でもない若干20歳の青年の独創とチャレンジが、その後の日本のコンタクトレンズ普及の扉を開いたのである。

田中は言う「独創とは一途な意志のなせる業である」と。

この若き日の田中の精神は今もなお衰えることはなく、また後進の社員へと脈々と受け継がれることが、業界のリーディングカンパニーとして新たな製品を常に他に先駆けて送り出す源となっている。